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らいLight 265号 『あたりまえー2』
 「あたりまえ」、192号でも書きました。この時は経済的に恵まれた
日本の世情は世界的な視点からは「全くあたりまえではない」と言う
ことでした。今回はそんな大きなテーマではなく、自分の物事への
感じ方についてです。

 「自分のあたりまえ」は「ほかの人のあたりまえ」とは違います。
もちろん仲の良い夫婦ならその違いは僅かでしょう。でも微妙に違う
ことはあります。私ごとですが、私は大声で怒鳴るような怒り方は
しません。でも怒らないかと聞かれれば、少しは怒ることがあります、
と言うか、機嫌が悪くなることは結構あって、悪くなるとすぐに分かるよ、
素直なもんだね、なんて家族からは言われています。

 その原因の多くは実にちょっとしたことです。自分の「あたりまえ」と、
囲りの人たちが起こすことに少し違いがある場合です。怒るほどでは
なくても機嫌をそこねる。もちろんすぐに直りますよ。

 このような家族の間での「あたりまえ」の違い、会社の中・取引先との
間ではもっと大きくなります。もっと言えば国と国、人種が違い歴史も
文化も違う、当然のこととして「あたりまえ」も違います。
端的な例では近くの大国、世界を相手にしても自分の論理を押し通す、
とても日本にはできないことですが、あの国からすればそれが「あたり
まえ」かもしれません。

 しかし、ここではこのような大きなことを避けておきます。身近な「あた
りまえ」の違い、この違いへの対応次第で生活の楽しさや幸せが大きく
異なってきます。

 私たちの物事への認識はどこまでいっても自分の認識でしかなく、ほかの
ひととは違うことがあるのを知っておかなければなりません。私の脳は
私だけのもので、ほかの人の脳とは一緒ではありません。物事への認識は
全て脳の判断ですから、その内容に違いが生じて当然です。

 そうは言っても私たちは一人では生きられず、ほかの人々と力を合わせて
生きていきます。ですから自分の認識や考えにとらわれ過ぎず、こだわり
過ぎず、物事にはほかの見方や考え方もあるのだと受け入れることです。

 自分の「あたりまえ」にはちょっと遠慮させ、ひとの「あたりまえ」には少し
甘くが秘訣。所詮たいした違いはありません。
私は「かたよらないこころ・こだわらないこころ・とらわれないこころ、ひろく
ひろくもっとひろく」を日に何度も思い浮かべたり口にしたりします。これで
自分とは違う「あたりまえ」にも気持ちよく向かい合えます。
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2014/07/02(Wed) | らいLIGHT | トラックバック(-) | コメント(-) | page top↑
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